2017.07.27

僕は現在、新人賞に応募する小説を書いていますが、書き慣れていないせいか難航しています。まず、稚拙でもいいからバババッと書いてしまい、それから推敲する際に直していけばいいかなって思いますが、僕の一日は小説というものに全て費やさなくてはならないのですが、小説をずっと書いているのも疲れてしまうし、時間の有効な使い方ではないと思うので、図書館で本も借りて来て読んで勉強するのも必要です。

今日は、ふと小説を書いていて、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」が頭に浮かんだんです。以前読了して、自己実現というテーマがまさしく重なるなと思ったし、参考になるなと思ったんです。だからこれから借りてくるつもりですが、まだ読んだことのない「星の巡礼」と「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」という本も借りて来ようと思います。

あと、「植物学」の本。「植物」というのを一つのモチーフにすることを思い浮かび、でも僕は植物について何も知ってはいないので借りて来なくては語れません。

とりあえず、毎日五千字は書くということを決めたいと思います。新人賞は六万字まで大丈夫なので、十二日あれば一応は文字数は足りることになりますが、本当に五千字書けるかどうかわかりません。もしかしたら今日でその計画は蹉跌してしまうかもしれません。だから、僕はこの場所を借りて、どうだったのか文章を書こうと思いました。

今日なんとなく以前購入して、家にあった「職業としての小説家」という文庫本を少しめくっていました。

そこには「一日はあくまで一日であり、いっぺんにまとめて二、三日をこなしてしまうわけにはいきません。184」と書かれていました。僕は二、三日をいっぺんにこなそうとしているのかもしれない、つんのめりになっているのかもしれないと思いました。「分裂の症状とは、未来を先取りしようとして起こる」というようなことをどこかの本で読んだことがありますが、まさしく僕は分裂しているように思います。僕は「小説家になる」ことにあまりにも囚われすぎて、小説を書くという一番肝心なことができていなかったのです。

「小説家の基本は、物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。193」とも書いてありました。

本当のことを言うと、僕は意識の下部に下っていくこと、心の闇の底に下降していくと言う作業に疲れました。なぜなら、それは毎日のように絶えず頭の中で行われているものだからです。今の本当の気持ちとしては、軽くなりたいという気持ちです。だけど、僕はこれから自転車を漕いで、下降していかなくてはなりません。本を読むというのも一種の下降の作業だと僕は思います。僕には日々の全てが下降していくということなのです。小説を発表するまでは、これは耐えるしかないと思います。小説を発表していないから苦しいのです。

僕は時よりタバコが吸いたくなります。今も三日前に買ったケントが目にとまりました。タバコの先から出る副流煙は燃焼して出てくるものなので、温度が高く、空気より比重が軽いため、上に上がっていく。僕はその煙に何か憧憬のようなものを感じる。

今が重すぎる。過去に物事を整理し、きちんと出力して来なかった罰だ。

明日も重すぎる。僕は這いつくばっている下に流れている冷たい煙ではなく、這いつくばっている上に上がれない鬱々とした熱い煙だ。

息を吸って吐くように、小説を書いて、上に上がっていければいい。