2017.07.28

現在17時過ぎ。昨日は結局二千字しか書くことができませんでした。計画は立てた日に蹉跌してしまいました。図書館で本を借りてこようと思っていたのですが、図書館も休館でした。

なので、これから自転車で行ってきたいと思います。今日は一文字も小説を書いていません。

ちょうど今、Kindleで、アルケミストを読み終えました。

「人の心はいつでもその人を助けるのですか?と少年は錬金術師に聞いた。「ほとんどは、夢を実現しようとしている人の場合だけだ。しかし、人の心は子供や酔払いや年寄りも助ける」」と書いてありました。僕は夢を実現しようとしており、夢を実現しようとするために奮闘している小説の中に登場させたいと思っていました。

酔っ払いも助けると書いてあり、僕は今日のお昼過ぎからまさに酔っ払っていました。得体の知れない虚無感が入り込んでくるので、僕は自分の向かっていた机を人差し指と中指で素早く叩き、我慢できずに、ハイボールを冷蔵庫から取り出してきて、一缶飲みました。何か考えついたと思ったら、数秒後かにすぐさま虚無になっていく。その感覚が嫌でしょうがなく、自分の頭を引っ掻き、髪の毛をむしり、さらに少し残っていた電気ブランを持ってきて、飲んで少し眠ってしまいました。どうでもいい話ですね。ですが、残るところなく全てが空虚になっていくんです。それに抗うにはどうしたらいいのだろう。相対化の坩堝の今の時代では難しいのかもしれない。これからどんどん「自分」というものがなくなっていくんじゃないだろうか。厳しくなっていくんじゃないだろうか。

他人が呟いた、芥川賞の影裏の描写について呟いていたツイートを見て焦った。その瞬間、自分が抹消されたような気分になるんです。僕はどろどろとしているがポップな音楽が聴きたくなった。音楽にしがみつきたくなる。けど、それもまた他人の表現で、僕の表現じゃない。僕はない。

僕はアルケミストを読んでいて、物語の流れを頭の中に浸透させていきました。やっぱり僕は小説というものが読みにくくなっていると感じます。雰囲気で読んでいるという感じが強く、場面を理解していない、昔はもっと筋を理解しようと、細密に読もうと心がけていましたが、今はなんか頭の中が台風の中の風船みたいになっていて、集中できないんですよね。最初アルケミストを読んだ時は場面を理解できていましたが、二度目は全く理解できず、なんで風になろうとしたのかわかりませんでした。

僕は錬金術師のような、意識の指導者を小説に登場させたくて、この本を読みました。錬金術師とは違いますが、この本の錬金術師のような仕方で人物に関わってくる感じです。

アルケミストを読んでいる最中に僕はふと、「ドストエフスキーの悪霊」というDVDをオークションで落札しました。僕は活字でしか悪霊を読んだことがないのですが、そこに出てくる人物は僕らと同じように肉体を持っているはずで、それを僕は見たいと思ったのです。

最近僕はなんか離人感がするので、僕は悪霊のDVDに出てくる動いている人物に自分を投影したいと思っています。

図書館で「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」をなどを借りて来ました。裏のカバーに「病を治す力を持つ修道士」と書いてあり、僕は「病を治す力」の人物の設定をちょうど考えていたので、どういう風に病を治すのかが気になります。今はもう深夜なので、明日起きたら読むつもりです。今日は小説を一文字も書けなかったが、メモ帳に断片のメモをした。

僕は小説を書かなければ何もすることはできないのに、それができないのだから今日は譴責すべき一日だった。 譴責されているから眠ることが困難だ。僕はこのまま起きていながら小説を書くべきだろうか。きっと書いたほうがいいに決まっている。だってそれだけが僕が進んでいることになるんだから。また一万字にも達してない乱雑な小説を確認するが、それを見たら少しでも書かなきゃってなった。でも僕はそれを放棄して、明日に行く。それは一番愛らしいものなんだろうけど!

明日はまず本を読むことから始める。「書くということ」がどういうことがわかっていない僕は、決して安住することができず、その安住し得ない実存を書くことで少しは譴責などを躱しているつもりでも、「小説を完成させていない」という観念はどうすることもできないから、僕は加速するしかないんです。これから加速していきます。そして何としても完成させたいです。