2017.07.29

私は今月の16日に強迫性障害といわれ、この病気はこだわり方が人によってそれぞれ違うらしいですが、一つの例に「正確さ・対称性」というのがあって、物事が正確かどうかとか対称性にものすごくこだわるらしいです。僕は小説を書いていて、やはり正確でないといけないし対称性を持ってないといけないという思いがあり、たくさんの本を読まなければなりません。それは小説を書くことを仕事にしている人にとっては、当たり前のことであり、何かを書くという際に参考文献とか必ず読まなければならないと思うのですが、僕は少しそれがしんどいと思う時がある。もう嫌だよ!って思う時がある。

自分の頭の中で全部まとめて一つの形にできてしまえないだろうか?そんなのは考えはバカなことだ。僕は穴をとにかく埋めていかなければなりません。それは小説を書こうという時に必ず目の前に空く大きな穴です。それをジャンプで飛び越えるわけにはいかない。そうなったら僕にとって小説というものは嘘になるし、穴に落っこちて、書くことはできないでしょう。その穴は、小説を書いている最中にもどんどん空いていきます。

今日、「ピエドラ川のほとりで泣いた」を読んでいて「真理は信仰のあるところに存在する。108」と書いてありました。ジャン・クリストフのロマン・ロランも「私は文学の作品を書くのではない。信仰の作品を書くのである」と言っています。

僕の場合は、キリスト教的な意味合いを含まないですが、僕もやはり信仰の作品が書きたいです。自分がその作品に対して信仰できる作品を書きたいです。そのためには、やはり考えなければならないのです。とにかく穴を埋めていかなければならない。

僕はでも外部の正確さによる真理というよりは、その外部の正確さによって作り上げられる作品という真理にこそ強迫的になっているのかもしれない。

正確さとか対称性に強くこだわるというのは、自分の真理に対して誠実であるということだと思うんです。